僕の恋の話をしようとしたら過去を語ってた

話しかけれない

好きな人がいて、なんだか毎日楽しいけど、好きな人を見ているだけで話そうとしても普段しないような過度な緊張で行こうにも行けない。なんでこうなってしまうかは何となく分かる。意識しすぎている、というかその人のことをいっぱいいる人の中のひとりではなく、「好きな人」として意識してしまっていることが原因だと思う。だからもっと楽に考えようとしたり、哲学系の本は元々好きなので自分を理想の自分に近づけるためのことを努力ってほどでもないけど実施した。理想の自分の具体例はちゃんとある。まさしく「理想の自分」にふさわしい具体例で中学校三年生の頃の僕である。思い出補正だったり、その時少しモテていたりして多少のバフはかかっているかもしれないけど中3の頃の僕は本当に人生を学校を楽しんでいたのである。

 

思い出話

ここで少し中学校の僕の話をしたいのでしようと思う。僕は中学校二年生のときに不登校になった。その理由は2つある。1つ目はコロナ期間にある、コロナが出始めて確か冬休みだったかがとてつもなく長くなったのである。なんとなくだが半年はあったんじゃないかというほどであった。その時の僕は友だちと話すでもなく、ひたすらゲームに明け暮れた。飽きるほどずーっと。するとどうなっただろうか、そう、人とのコミュニケーションの取り方をを忘れてしまったのである。そこから女の子も、男子も関係なく話しかけていた僕はどっかに行ってしまった。それから月日は流れ、中2のある日美術の授業で課題がい終わりそうもなく焦った僕の取った行動は、「休む」であった。

それを境に美術があれば必ず休み、普通の日でさえ休むようになっていってしまった。なんて理由で不登校になっているんだ!wと今では思う。でもその時の僕は考えに考えて何回か行けばまた今までのように学校に行けると思っていても、その一回ができなかった。中3になって理由は忘れたけど学校に結構行けるようにはなっていた。でも何かあれば休んでいた。その時にはなぜだろう、結構話せていた。そこからである。学校の先生と2者面談をすることになった。そこで僕は目覚めたのである。先生は何でも話していいよというので不登校になった経緯を話した、すると先生は「課題が残ったなら学校に残ってやればいい」といってくれた。当たり前のことだろう。でも僕はプレッシャーでそんなことも考えられなかった。本当に救われた。美術の課題が終わらなくても死ぬことなんてないし終わらなければやらせてくれる。なぜだろう。今も僕にもわからないけど救われたのである。